夢の舟唄

備忘録にしたいと思っています

歌は世につれ世は歌につれ

※小説「終戦のローレライ」のネタバレを多分に含みますので、未読の方はブラウザバックをおすすめします。

 

昨年12月から読み始めた、福井晴敏著『終戦のローレライ』を読了しました。

ローレライクラスタの友人が、私に読ませたいからと文庫本を全巻買ってくれたのですが、私は何故この作品を今まで読んでこなかったんだろう。絶対あなたの好きなやつだよ、私。

すごく熱かった。泣いた。

買ってくれて本当にありがとう。

そう、この記事はタイトルからは全く伝わって来ないけど『終戦のローレライ』読書感想文(?)です。冒頭で注意書きをしていますが、この記事を読み進めている方は全員ローレライ読了済のものとして進めていきます。映画だけ見たという方も一応回避行動をお願いします(ストーリーがかなり違うという話を聞いたので)。

 

読み進める間、ブログやツイートで取り上げたいと思う場面が多くありました。1巻で伊507に乗り込む前に散った1番の推しについてや、作中に多く見られる2人の人物(絹見/大湊、征人/田口の回想の一等兵……)の対比等。でも最後の1ページを読み終えた時、というか終章を読んでいる時考えていたのは、作中何度も流れる「歌」についてでした。

パウラと征人を中心に伊507乗組員が歌う『椰子の実』、征人が父に聴かせてもらった赤盤の『夜のごとく静かに』、終章で時代の移り変わりに流れる歌謡曲(『リンゴの唄』、『東京ブギウギ』、『月がとっても青いから』、『世界の国からこんにちは』、『川の流れのように』)。

歌は、聴くまでは忘れていても、聴いたり歌ったりした瞬間、その歌に刻まれた記憶がふっと浮かび上がるものだと思います。征人にとっては父の記憶を、田口にとっては手に掛けた一等兵の記憶を思い起こさせる歌。

パウラと征人が乗ったナーバルを切り離して任務を終え、マリアナ海溝に沈む伊507の艦内で歌われる『椰子の実』と、それを感知し続けるパウラ。

パウラと征人から艦内に広がった歌が、2人が居なくなった艦内で響く光景には泣かずにはいられませんでした。4巻だけで泣くポイントが多すぎて挙げたらキリがないのですが。

歌はどんな時でも人の生活の隣にあるのですよね。

歌を聴けない時でも、好きな歌が国から禁止されている時でも、歌は人の心の中にあって、時に寄り添い、時に苦痛を与えてくる。

そして、歌は世につれ世は歌につれ、変化していく。

終章で最初に登場する『リンゴの唄』は、戦後初のヒット曲として知られています。この歌を聴いたパウラは、「明るいとはどうしても思えなかった」、「寄る辺のない不安が底に流れている」と感じているのですが、幼い頃からこの歌を知っている私も、何となく寂しげな雰囲気を感じていて、分かる!!と思いました。爽やかなんだけれど、1話完結もののアニメのエンディングのような。今までは漠然としていたイメージが、当時の状況と重なったことでしっくりと来ました。約18年来のモヤモヤがここで解けた。

後に続く4曲も時代の変化を思わせ、歌を背景にしてパウラと征人の生活が紡がれていく。このあたりはテレビドラマやドキュメンタリー番組のような作りだなと思います。純粋な恋だとか、愛で全て乗り越えるとかそんな話ではなく、パウラと征人それぞれに抱える思いがあって、生きて家族を作る様はドラマではなくドキュメンタリーに近いのでしょうか。

家を買った際、田口の言葉を覚えていて、温子ではなく「パウラ」として、よかったねと声を掛けたパウラに対し、自分は「生かされている」と自覚して、与えられた自由を腐らせてしまったのではないかと悩む征人。伊507の犠牲を思うと、立派に生きなければならないという思い。誰にも恥じない生き方をするということの難しさ。全力で「否」を叩きつけた浅倉良橘の言葉通りの世界になっていないか。かけがえのない人々と引き換えに「生かされている」人間の苦悩を如実に感じます。

何だか読書感想文なのか怪しくなってきたぞ。

収拾がつかなくなってきたので、そのうち別角度からの話もすると思います。推しの話をしたい。させてくれ。

最後になりますが、リンゴの唄の4番の歌詞がローレライっぽいなと思いました。以上です。